[ Amazon ] ISBN 978-4-403-23113-1, \1800
本書を読了し,つくづく感じたのは
ということである。もう少し穏当な言い方をすると,「老成した」ということになろうか。いや,ワシもあと七年したらこういう境地に辿り着きたいものだ,と,本気で思っているのである。
ワシは小谷野に言わせれば三流大学の出であるから,東京大学というエリート様の集う大学のことをワシの経験から類推すると怒られるのかぁと昔は常々思っていた。が,一応学者になって十数年経ってみると,東大出といってもいろんな人がいて,大学出てから十年スパンでがんがん活躍している人というのはそんなにいないということが分ってきた上に,まぁ大学というもののめんどくさい人間関係は似たところがあるんだなぁということも知るようになってきたから,本書に綴られている教員同僚間,師弟間のいざこざについては「あんな感じか」と具体的事例に当てはめつつ解釈してもいいだろうと判断しているのである。で,そーゆー経験を経てから読むと,本書は真に面白いだけでなく,時には我が身に「痛み」が降りかかってきたりして,大変スリルとサスペンスにあふれている「私小説」(特に「間奏曲」以降)として楽しめるのである。
普通,東京大学と言われて思い浮かべるのは,三四郎池のある本郷キャンパスだろう。こちらは日本最初の帝国大学以来の伝統があって,緩やかな傾斜がある広大な敷地を初めて歩いたときには「明治村(行ったことないけど)みてぇ」と感動したものである。今はだいぶん建て変わっているけど,明治~大正期に作られたとおぼしき古い建物が多く,旧跡マニアなら散歩するだけで楽しめる。
しかし,東大にはもう一つ,旧一高の流れをくむ「駒場キャンパス」がある。まぁつい最近は「柏キャンパス」なんてのもできたけど,あれは大学院だけなので(悪い意味で)別格である。教養部のある駒場には,ワシは一度しか行ったことがないのだけれど,本郷とは違って,学生さんが多くて賑やかだけど,何だか「ふつ~の総合大学」っぽいなぁという印象しかない。
本書はその,東大の中心からはちょっと外れているという意味を持つ「駒場」という地名のキャンパスに本拠地を置いた大学院の,「比較文学専攻」という,比較的小さな「学派」の生い立ちから現在に至るまでの歴史を,そこに集った教員と学生(院生)の業績とイベントといざこざを描くことで語っている。「ゴシップ」というにはかなり上品なエピソードが多くて,もっとドロドロした(あ,今の職場にはありませんよ,念のため)話を見聞きしてきたワシなどは,「ふ~ん,やっぱり東大は上品なんだなぁ」と思いそうになったが,まぁ筒井康隆の「文学部唯野教授」を「悪ふざけが過ぎる」と言った小谷野先生の書くことだから,そこそこ抑制が効いているのかなぁ,とも思う。その辺を割り引いたとしても,ふん,やっぱり腐っても(失礼)東大というだけのことはあるな,と改めて認識した私大,じゃない,次第である。
上品,と感じたのは,描かれているコンフリクトが殆ど学問に関するものだからである。学者なんだから学問のことで議論するのは当然でしょうと考える純粋無垢な方は今時いないだろうが,実際,大学といえども,まぁ普通はどっかの会社と変わらぬ個人的な性癖や思想の違いがいざこざの元になっているのである。ワシはゲスだしエリート大学出身ではないからまぁいいとしても(良くないか?),ご大層な大学出身者だって,あれこれ理屈並べた理論武装は見事だったりするけど,内実はワシ以上のゲスだったりすることも少なくない。学問思想上の衝突なんてのは,あったとしても限られた小数の方々だけで行われるに過ぎない。大体,衝突するほどの業績もないというのが大多数なのである。
それに比べると,やっぱり東大,特に四天王(芳賀徹・平川祐弘・小堀桂一郎・亀井俊介)のうち,前者の御三家間のコンフリクトは,気性の問題もあろうけど,かなり学術上のまっとうなやりとりが多く,頭の良さってのはこういう所でも分るモンなんだなぁと感心する。文学に暗いワシには内容のことは分らねど,腐っても(しつこい?)東大というブランドを背負っているだけのことはしてきたということは確かだろう。
本書では,学者としての小谷野の仕事の見事さも際立っている。自分が見知ってきた記憶以外に,おそらく相当の資料を渉猟しているものと思われる緻密な事実の積み重ねがある。内部に詳しい人なら突っ込みどころの幾つかは見つけるのかもしれないが,ワシには隙が見えなかった。あるとすれば,せいぜい小谷野の個人的印象に基づく記述への突っ込みぐらいだが,それも良い具合に練れていて,昔の激しい感情の発露に比べると,ほどよいエスプリに消化している。特に「間奏曲」に描かれている,比較文学専攻に進学するまでの「私小説」は,自分のダメさ加減を自覚した世代の人間なら思い当たることが多くて,「痛がゆい」刺激を与えてくれるだろう。ここらあたりも,様々な議論・軋轢を経てきた故に得た「味」なんでしょうな。これを「老成」と言わずしてなんと言えばいいのだ。47にしてにはちと早いような気もするけど。
凡人が書いたなら単なる個人の思い出本に堕してしまうものを,楽しく読めるエンターテインメントにも,学問上も無視できない優れた資料にもなっていることを考えると,ワシにとっては現時点での小谷野本のナンバーワンが本書である。「小谷野敦(トン)」という人物の形成を知る上でもお奨めの一冊である。