しらいさりい「ぼくは無職だけど働きたいと思ってる。」朝日新聞出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-02-250642-9, \940

i_have_no_job_but_i_have_my_will_to_work.jpg

 エッセイマンガが増えたな~,とツクヅク思う。映画でもドキュメンタリーが増えてきたが,日本全体,いや先進国全体で高齢化が進展していることもあって,読者層・視聴者層の一番分厚い部分がフィクションというものに飽きているという理由も手伝っているのだろう。絵空事ではない,リアルな物語を希求するという状況は暫く止むことはなさそうだ。
 エッセイマンガが増えてきたのも,そんな「リアルな物語」を求めるという状況に加えて,マンガの表現力と読者のリテラシーが格段に上がり,複雑なコマ割が敬遠されるというよりは,シンプルで白い絵でも十分面白さが伝わる・読み取れるようになっているというマンガの21世紀的進化の結果でもある。表現がシンプルであればあるほど絵やコマ割にはセンスが求められるので,誰にでも描けそうでいて,そう簡単には読者に届く表現力が得られるわけでもない。実際,ストーリーマンガでは一線級の作家でも,エッセイマンガとなると途端に精彩を欠く,ってなことは普通にある。逆に,ド新人でもセンスさえあればWebや同人誌を通じてドンドン読者を獲得していく,ってなこともすっかり当たり前になった。このblogでも幾つか紹介しているが,「ヘタリア」のようにWeb経由で世界的な評判を得たものも現れるようになり,「時代だなぁ~」とすっかりオッサンの感傷に浸ってしまう昨今である。雑誌が駄目になったと思ったら,今度はWebか,いや,Webのせいで雑誌が駄目になったのか。ともかく,漫画家と読者が直に繋がりやすい状況になったことは良いことだとワシは思う。

 本書も,そんなWeb経由で評判になり,プロデビューに至ったマンガであるらしい・・・というのも,本書を読むまでは著者の「ニートな僕」の存在を全く知らなかったのである。どーしてもバブリーな1980年代に青春を過ごしたオッサンなワシは,Web上のマンガってのにまだ抵抗があるらしいのだ。だもんで,積極的にディスプレイでまんがを読もうという気にならないのである。多分,本書を手に取らなければ,著者のblogを読むことはなかったであろう。
 そんなワシが本書を購入した理由は,内容が「・・・うっ,これは惹きつけられてしまう・・・」と直感したからに他ならない。得能史子に惹かれたのと同様,「ダメダメ光線」がビガビガと発せられており,本書を手にとって一瞥した途端,ワシのダメゴゴロの「共感」回路がショートしてしまったのだ。ワシは結構絵柄にはうるさいのだが,シンプルというだけではなく,相当センスのよさげなベクトル描画なデジタル絵にも好感を持った。

 ちょっと気弱な三十路の独身男,村田良男が主人公のフィクションマンガ・・・が本書の正確な紹介になるのだが,ワシはやっぱり本書を「エッセイマンガ」というジャンルにカテゴライズしたいと思う。なぜなら,ここで描かれている村田君のありように,フィクションを超えたリアリティを感じたからである。著者がこのような体験を経てきたかどうかは不明であるが,ワシも職場でしょっちゅう悩まされている「マンション営業」にいそしむ村田君がクビになる(自主退職という形態は取らされるが)経緯,ニート期間のやるせない鬱な日々,チャットと出会い系にハマって振られるという情けないエピソード,そして再就職(といえるのかなぁ,これ)に至るまでの七転び八起きな就職活動・・・,どれを取っても絵空事感がゼロ。多分本書をノンフィクションのドキュメントマンガだよ,と言って人に勧めたら完全に信用するだろう。そのぐらいリアル,っつーか,「あるよなぁ・・・こういうことも」「いるよなぁ・・・こーゆー奴」「ああっ,これワシだ,ワシのことを描いている~」ってな反応が続出するんじゃないかな。ワシの場合は,自分にも通じるし,今教えている学生さんとか,前の職場で接してきた能開セミナーの受講生さんにも思い当たる人がいる(た)ので,読みながら胃がキリキリしてきたのである。

 村田君は,慣れないマンション営業部門に回され,業績不振の責任を取らされる形で自主退職をする(させられる)。そして就職活動の日々を送るのだが,誰しも,ことに,対人関係では積極的になれない気弱な向きには,自分には向いていない仕事をさせられて苦しんだ体験はあるだろう。村田君が退職するのも,誰が悪いというよりは,時代と状況が悪いというより仕方のないところがあり,そして再就職活動も躓きながら休みながらだらだら~と過ごしてしまう,というのも,勝間和代あたりからは「バカしっかりしなさい!」と怒鳴りつけられるだろうが,カツマーとは縁遠いダメ人間たるワシは「無理もねぇなぁ~」とシミジミ共感してしまうのである。ちょうどワシも調子が良くない時期に当たっているので,多分,村田君のような状況であれば全く同じか,いやそれ以上に対人関係ゼロのヒッキーになるに決まっているのである。
 幸い村田君は,ネットを通じてとはいえ,交友関係を持とうという意欲は残っており,自分を心配してくれる家族もいた。三十路前半という年齢制限ギリギリの若さであったことも功を奏して,何とか世間と繋がることが出来た。この辺も結構リアルで,逆にこのような多少の社会性・関係性の有無が,職を得るかどうかの紙一重の違いに繋がってしまうのだろう。そう考えると,一歩間違えればアキバで暴れまくった加藤のような人生にもなり得る,ちょっと怖い状況を描いた作品であるとも言える。

 今の日本の雇用状況の悪さと,すぐに底辺に落ちてしまう耐性のなさは,結局の所,社会の分厚さがないせいだ,というのが宮台慎司の分析であるが,民主党政権を突き上げたところでそう簡単に復活するものでもない。とりあえず手近なところから,出来る範囲で各人が隣人知人をつなぎ止める努力をする他ないだろう。もちろん,最低限の本人の自助努力は必要であるけれど,せめて元気で就職の意志のある世代がヤケクソの捨て鉢にならない程度に,パンを分け与えるぐらいの節度を,まだパンを得ることが出来ているワシらが持つことが必要だ。そう,村田君が労働の意欲を復活させたぐらいの,ささやかだが重要な成功例を普遍化することができれば,ビンボーではあるがそこそこ良い社会が維持できるのではないか・・・ワシはこのマンガを読んで,そう確信したのである。