糸井重里「小さいことばを歌う場所」東京糸井重里事務所

 本書は,ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)の巻頭言や写真blogからの抜粋集である。だから,という訳ではないのだが,実はこれ,非売品・・・という言い方は適切ではないな。書店に並ぶことはないし,AmazonでもBK1でも楽天ブックスでも入手できないのだ。
 ほぼ日の直販のみ,なのである。
 ワシが入手したのは4月上旬で,既に受付は終了している。が,読者の反応が良かったようなので,今回再び直販が開始されることになったようだ。この機会を逃すと次はないかもしれないので,気になる方は是非とも申し込みされたい。

 毎日午前11時に欠かさず(過去数回意図的に休んだのを除いて)更新され続けているほぼ日の巻頭言は,今でも糸井重里自身が毎回書いているらしい。「書くことがないなんてことはない」と,言うことは簡単だが,それを実行することは困難である。その有言実行記録を続けているのはもう凄いとしか言いようがない。
 大体,1980年代の糸井重里と言えば,カリスマだったのだ。コピーライターという,あの星新一にも「少しはあの言語センスを見習え」と言わしめた,言葉の魔術師だったのである。だから,当時,千葉県流山市でウジウジとどうしようもなく陰気な大学生活を送っていたワシにとって,糸井は「地道な努力」とは最も縁遠い人と思えたものだ。
 その認識が間違っていたことを思い知らされたのは,以前紹介した「ほぼ日刊イトイ新聞の本」であり,今に続くほぼ日の隆盛である。糸井は1990年代後半から数年間,文字通り汗水垂らして「ほぼ日」の維持発展に尽力したのである。真面目に地道に全力を挙げてWebサイトを作り上げていったのだ。その過程を経て,糸井は次のような言葉を発するまでになったのだ。

 「できるまでやめなければ、できる」

 これは現在ワシの座右の銘となっている。こうして,糸井重里は「努力の人」に到達したのである。

 その糸井が毎日書いているほぼ日の巻頭言は,いつ読んでも大体面白く読める。そのアベレージの高さは,言葉のカリスマのセンスがまだまだ現役バリバリであり,そこに汗と涙(があったかどうかは定かでない)が注ぎ込まれた結果であると,ワシは勝手に想像している。
 いつかこの巻頭言をまとめてくれないかなぁ,とワシは思っていたし,多分,多くのほぼ日読者も同じことを念願していたと思うのだが,ほぼ日乗組員の永田も同じことを考えていたらしい。ただ,永田は多分,それをそのまま実行してはイカン,と気が付いたのだろう。糸井の巻頭言が高いアベレージを保っている重要な要素を取り出してみせること,これが重要だと思ったのだ(多分)。「カリスマのセンス」というダイヤを,原石を丸ごと提示するのではなく,カッティングすることによって,文字通り磨きをかけようと思ったのである。で,ほぼ日に陳列されたのが本書,という訳なのである。で,このダイヤを,糸井は「小さいことば」と呼ぶことにしたのである。

 磨きがかかっているだけあって,どの言葉もほんとうに「小さい」,つまり,短い。まるで詩である。しかし,内容は散文である。だが,それはダイヤというだけあって,意味は深い。アフォリズムになっているものも多く,気になっているところに付箋を貼っていたら,こんなになってしまった。

little_words.jpg

 それだけ,ワシの神経にびんびんと響いてくる「小さいことば」が多い,という証である。ここで一つ二つ紹介するのはやぶさかではないが,何せ数が多すぎて絞りきれない。とりあえず,えいやっと開いたところを一つだけお見せしよう。

 都会で立ち小便が減ったのは、
 規則が浸透したからでもないし、
 よく逮捕したからでもないよな。
 街がきれいになったり、
 ひょいと使える衛生的な便所ができたからだよ。

 「ふ~ん」と感心したあなたは,是非とも入手して頂きたいのである。感心できなかったあなたにも,たぶん,一つや二つや三つ・・・自身に響いてくる「小さいことば」があるはずだ。