糸井重里「あたまのなかにある公園」東京糸井重里事務所

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 2007年から毎年春に一冊ずつ刊行される,糸井重里の短い言葉をまとめた単行本シリーズも4冊目となった。ワシは欠かさず購入していて,ここでも第一弾「小さいことばを歌う場所」,第二弾「思い出したら,思い出になった」を取り上げている。書いてないけど,第三弾「ともだちがやってきた」も当然購入して熟読している・・・つーか,一つ一つの言葉はやさしい単語で構成されていて短いので,普通に読めば「熟読」になってしまうのであるな。

 第四弾にあたる「あたまのなかにある公園」だが,前の三冊と取り立てて変わったところはない。編集担当・永田による文章の抜粋や構成はほぼ同じで,時折,糸井が撮影して「きまぐれカメラ」に掲載した写真が挿入されたり,本の最後の方には「別れ」や,それに伴う「せつなさ」を表現した文章がまとめられているところなども同じだ。そして,毎回,「ふ~ん,これは鋭いなぁ~」と感心するのも相変わらずである。

 つーことで,いくつかワシが付箋をつけた文章を引用してご紹介したい。

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 「プレゼンテーションの時代が,終わるんだよ」
 と,ある打ち合わせ中に,ぼくは言いました。

 (略)

 「ダメ」は,簡単にわかります。
 うまく「プレゼンテーション」できればダメにならない,
 なんてことは,あっちゃいけないんです。(P.54~55)

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 そうそう。そう思うよ,昔のじぶんに賛成です。(P.157)

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 小学校から大学にいたるまで,
 学校の勉強が,
 ともすれば退屈に思われやすいのは,
 問題と答えの両方を知っているものが,
 先生という名で,すでにいるからだ。

 政治家の言葉が,
 どうしてもいやらしくなるのは,
 疑いの指先が,
 絶対に,相手のほうにしか向いてないからだ。

 ぼくが信じられるのは,
 自分に疑いの目を向けられる人だ。(P.176~177)

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 「ねばれ!」しかないんですよね。たいていのことは。
 天からの啓示も,ありがたい偶然も,
 ねばっている人のところにやってくるわけで,
 おそらくそれは「考えつづけている」というのと,
 同じことなんじゃないかなぁ。

 (略)

 おれも,ねばるよ。おまえも,ねばれ。(P.238~239)


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 それぞれの胸に刻まれたことが,
 あとで「よかったな」と思えるようになるといいですね。(P.299)

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 毎年継続して4冊も購入し,読み続けているワシは,いつも読了する度に「よかったな」と思っている。経験に裏付けされた,素朴な言葉は,毎年ワシをさわやかな気分にさせてくれるのだ。